コロンブスの卵 vs ニュートンのりんご

乱数発生器を探していたら興味深い文章を見つけたのでメモ。

 りんご、とは、真実を隠蔽する、メディアが作り出した呪文なのです。そして、ほとんどの人がそれによって真実を見ることがない。ここでの真実とは、万有引力の発見に、一見まったく無駄に見えるような観察、実験、数学、物理学が、どれほど使われてきたか。それを見つけた叡智がどんな深いものか。ということです。
 ひるがえって、「コロンブスの卵」はわかりやすい話です。聞いたまんま、の話。そして、ここに卵があれば、だれでも復元できます。
 僕が主張したいのは、「もはや我々の社会文化は万有引力を発見しえない。見つけられるのは、コロンブスの(金の)卵だけになってしまった。」ということです。僕はこの退廃を、「真理の死」と表現したい。

http://www.math.keio.ac.jp/~matumoto/res5.pdf
http://www.math.keio.ac.jp/home2/matumoto/public_html/

確かに自分の研究にしてもまわりを見ても、社会へどのような影響を与えるかということが重要視されている。大部分の学科や専攻がそうであるように思える。そして、よくは知らないけど、数学科とか物理学科がここで言う「ニュートンのりんご」的なものを追い求めているのだと思う。
これらの研究の違いは、数年後に実用化されて役に立つか、百年後に応用されて役に立つかなんだと勝手に思ってる。でもって現実的には、今はまだ何の役に立つかはわからないけどこういう現象が起こるとか、こういう定理が解明されたとか、そんな話を世間は受け入れたがらないということか。
しかし、今、数年後に役に立つような話も、百年前の成果があって初めて実現されているということを忘れてはならないと。今役に立たないからってなくしてしまうと将来的な損失になる。と心に留めておこう。


もっともオレの研究は数年後の実用化の側なわけだが。
今は「コロンブスの金の卵」が欲しい。